3DCGをやり出し、この11月には21年目に入ります!
Shadeからやり始め、最初はグリグリとポリゴンを壊していた。
そのうち、どうせ自分の世界を作るならと思い立ったのが 大好きなもので作ろう!
コツコツとやっていき、 20年間で、BIGサイズ3作品を受注して納品しました。
Shadeだけではなく、他のソフトにも手を出していく。
その当時、Dogaでパーツを自分の思い通りに作るというのに興味を惹かれた。
それに手を出したのがきっかけです。
一番最初のCG画を受注
その当時は、課金しないとアニメーションはできなかった。 でも、私は1と2だけで十分だった。
背景もDogaを使い、自分でも気に入ってしまった。
結局、2種類を作り見せたら、
その件のお客様は迷いに迷った末に、一つに決められた。
その方の言葉が今でも忘れられない。
「この業界で十分やっていけるよ。この発想って、いいよね。応援してるね」
その方とは8年間のお付き合いで、お別れに。。。
その方が、この世からいなくなり 5年間。
何もする気が失せてしまった。
「クリスマス画を描いてほしい」という依頼
断るにしては、相手は大物過ぎた。
その方曰く
「あの爺さんがいなくなっても、あなたを必要としている人はいるから」
実の親から言葉の暴力を受けてきた私に、そんな言葉をかけてもらえたのが嬉しくて、涙が出ていた。
その5年間で、 持っているソフトはとんでもなくverが上がっていた。
しかも、Windowsまでアップグレートしていた。
その方のクリスマス画を納品後、 新しいパソコンを購入。
なんと!
ソフトの半分は使えず、使えるソフトだけでチマチマと描いてました。
だからね、3DCGを辞めたわけではないのよ。
ただ、時期が被っていた 。
- 二人の子どもの進学問題
- 死にかけた問題
生き返り、真っ先に思ったのは
「まだ死ねない」
自分の夢を一つでも叶えたい!と、強く思った。
その日を機に、web小説を公開することにしました。
その小説を公開して11年数ヶ月。
CG制作より小説に力を入れています←現在進行形
自分の夢を叶えるためには
毒親から解毒されないと、いつまで経っても逃げれない。
夫に「死ぬかもしれない」と、お医者さんに書いてもらった紙を見せたら鼻で笑われた。
あの思いは、絶対に忘れられない。
誰も信用できない。
生まれた時もそうだけど、死ぬ時も一人なんだ 。
そう覚悟した時、長男が帰宅した。
自閉症の長男はうまく言葉が話せないから私が死んでも話せないだろう。
それでもいい。
生き返った私には、前世の記憶がある。
その記憶は私を悩ませたが、 私は一人ではない。
私の記憶の中には、もう一人の人間の思いがある。
それだけで強くなれる。
そう思うまで時間がかかった。
数年後。 休んでいた3DCGに手をつけた。
しかし、その約10年で ソフトは激変わりしていた。
Shadeだけでなく、他のソフトもverがグレードアップしただけでなく、 アップグレード用の料金が 高過ぎ!
買い換えたほうが安いよ。
そんな時、AfterEffectに出会った。 皆は難しいと言うが、私には性に合っていた。逆にPremiumProの方が難しいよ。
だから、AfterEffectを習っていた。 自分の思うように動かせるなんて素晴らしい!
3作目の依頼を受注
なんと、幼稚園での出し物に使いたいとのこと!
掲載不可のため、元になったのを出します。
調子よくいっていた時、毒親の母が他界した。
父親に「母親が亡くなり悲しいという思いはないのか!」と詰られたが、私の思いはこれだけ。
死んでくれて清々した。
残るは、お前だけ。
初めての姉弟の話し合い
母側の親戚付き合いが良好だったのもあり、通夜に葬式、初盆、一周忌に参列したが、 それ以降は出なかった。
その一周忌が終わった後、父に絶縁状を渡した。
帰り際、弟にも同じ物を渡した。
だから、弟は私の気持ちを知っている。
弟によると、
「死んだら海に流して欲しい」
それに対し、私は思っていたことを話していた。
「私は死んでも墓には入らない。どこかの山に登って、そこから灰を流してくれればいい」
母が死んだのをきっかけに、私は解毒を開始した。だって、自分の夢を叶えることはできないから。
「子は親の持ち物で、親の言うとおりにしていればいい」
はっきりと言い切った父に嫌悪した。
私自身、自分の才はどこにあるのか。また、なんなのかは分からなかった。
毒親持ちの子だって、1人の人間なんだ。
持ち物ではない。
存在を認めてほしかった。
私の夢はオーストラリアに永住する!
初めての海外旅行先がオーストラリアだった。
同じ英会話サークルの仲間たちと行った旅行。
今でも鮮明に思い出せる。
仲良し7人と、そのうちの一人の息子さんの計8人で行った。
ドタキャンされた方がいて、行きはファーストクラスの席を取ってくれたので、快適だった。
フリータイムでは、1人で電車を乗り継いて行った。
その大地に寝そべり、色々なことを思っていた。
その時、なんて自分の悩みは小さいのだろう!
そう思った時に、自分の夢が出てきた。
今度は、ここに住む!
動き出す!
その当時のことを思い出した私は、夢を叶えるため動き出した。
私の執筆している小説は、私のその時の想いを入れています。
まだ未公開部分ですが、抜粋します。
「自分の可能性に賭けてみたいから(中略) ほんのちょっとの勇気と、それをしていく行動力。 それさえあれば、未来は変わる。」
その未来を変えていくために、 私はとことん自分の好きなことを突き進めていく!
それが吉と出るか凶となるか。 それは、その時だ。
そう思い、
- 3DCG
- 動画編集
- HP制作
だけでなく、
小説も執筆していきます!
あなたの未来に幸あれ!
毒親持ちでも、 持ちでなくても夢を見るのは人間の証拠よ!
人間、逃げ場が必要だからね。
その逃げ場をどこにするか。
誰にするか。
それは、その時決めればいい。
私の逃げ場は、まったく血の繋がりのない人。長崎のおばあちゃんだった。
おばあちゃんの他界後は、自分の殻に押し籠っていた。
生き返った時に感じた、あの思いは忘れない。
夢を叶えるため、今日も頑張ります!
生きているのだから、 その時、その時で夢は変わるもの。
増えたり、減ったりする。
その夢が実現する!
そう思うと興奮するよね。 今の私が、それです!!
1ヶ月間という短期間ですが、 それでも世界の人に自分の存在を認めてもらえる。
自力で掴んだんだ、このチャンス。
絶体に忘れない!
そして、その夢が 確実に叶いました!!